2005年2月

証   『わたしたちの信仰告白』

聖書  マタイによる福音書16章13節〜20節

   「あなたがたはわたしをだれと言うか。」

  「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」

伝道会証し 「私たちの信仰告白」

  私は教会付属幼稚園に入園したおかげで、卒園後も毎週日曜日の朝は教会学校に通い続けていました。一度「こうする」と決めたらできる限りの努力をしてそれを継続するものだ、という人生訓をだれかから教えられたという記憶はないのですが、家庭環境によるのでしょうか、幼い頃からそうするものだと思っていたので、何の疑問もありませんでした。ただ、学年が進むにしたがって毎週誘い合って教会に通っていた友だちが、誘いに行っても朝起きて来なくなり、教会で会って遊ぶことを楽しみにしていた先輩のお兄さんたちがだんだん減っていくことにはちょっと寂しさを感じました。
  気がつくといつか、分級は女の子ばかりが優勢になっていました。そんな私を学校の同級生の中には「女とばかり一緒にいる」と陰口をいってからかう者もいたようですが、幸か不幸か教会は毎日通う学校の区域からは少し離れたところにありましたので、自分が気にかけなければ済むという程度のことでした。小学校高学年になって同級生たちが日曜日に進学塾に通い始めたときも、私は自分から進んで、「ぼくは午後のクラスにする」と決めて、教会学校の礼拝が終わってから行けるコースを選びました。志望校や成績順でコースを選ぶのではなく、礼拝に出席できるコースを選択するというのは私にとっては「当然こと」で何の迷いもありませんでした。
 学年が進むにつれて、教会でキャッチボールや追いかけっこなどをする遊び友だちは減っていきましたが(当時は分級と礼拝の時間以外は、隙あれば庭で遊ぶのが楽しみでしたし、分級も半分くらいは外でしました)、その分CSの先生の話される聖書のお話が耳に入ってくるようになりました。
  中学生からは受難週・イースター・クリスマスなど年に何回かの特別なときには大人の礼拝に出席するようになると、礼拝とは、大の大人が必死に守ろうとしている大切なものなのだということがからだで伝わってくるようになりました。それと並んでもう一つの衝撃的な体験は讃美歌でした。男声の低音の響きが加わる「大人の讃美歌」の声は、教会学校で聞き慣れた「子どもさんびか」とはまったく異質な気がしました。
  その頃、大阪から転会されたひとりの若いサラリーマンのご夫婦が教会に加わりました。その男の方はやがて高校生になったわたしたちの分級の担任の先生になられたのですが、とてもすばらしいテノールの声の持ち主でした。そして、その先生が弾くピアノを耳にした時、私はそれまでピアノというのは打楽器の一種のようにしか思っていなかったのですが、実は細やかな情感あふれるメロディーを奏でることができるのだと知りました。オルガンの音色にも深い祈りが込められて伝わってきました。


  これが、私の「音楽」との最初の出会いであったと思います。もちろん、それまでも学校に音楽の時間はありましたが、今のようにテレビやMDやCMから日常的にバンドや楽器伴奏を伴った歌が聞こえてくる時代ではありませんでした。我が家には考えてみると「西洋音楽」は日常生活にはなかったのです。私たちが学校で習った曲をおさらいする以外には。ですから、「音の戯れ」や「体の感覚の発散」としての音楽はあっても、メッセージのこめられた、内面性に支えられた音楽と言うのを知らなかったということでしょう。その先生が指揮をして、私の行っていた教会にも初めて聖歌隊ができました。
  礼拝において、説教の直前に献げられる聖歌隊の奉仕を聴くごとに、「私も大きくなったら早く聖歌隊に入りたい」と憧れたものでした。私が高校1年のクリスマスに受洗したいと願ったその志望の伏線は、聖歌隊の奉仕をしたいということにもあったように思います。
 

  私の受洗の動機は、教会で礼拝に出席したり、教会の人たちとの交わりの中にいたりするときの自分と、学校や家庭において生活しているときの自分とのギャップの大きさに悩んだことにありました。高校生らしい単純さで、道徳的・理想主義的にクリスチャンという存在を思い描いていたという面もありますが、聖書にあるような「神様にも人にも愛される」(これは、幼稚園の卒業記念にいただいた新約聖書に担任の先生が書いてくださった聖書の言葉ですが)生き方は洗礼を受けてクリスチャンにならないとできないだろうと思いました。そして、教会を出た途端に神様のことなどすっかり忘れて、自分の欲望や欲求のままに一週間過ごしている自分の罪を自覚したのでした。私はクリスチャンになったら罪のない清い生活ができるのだと単純に思っていましたから、洗礼を受けた後にもなお、以前と同じように誘惑を感じたり、それに負けたりする自分を知ったことはショックでした。ローマ人への手紙でパウロの言っている「私は自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。・・・私はなんと惨めな人間なのでしょう。」という告白は、パウロの受洗前のことか受洗後のことか、と真剣に悩んだものです。
  話が少しそれるようですが、昨年隅谷三喜男先生の遺稿を集めた「日本の信徒の<神学>」という本が出版されました。その中で隅谷先生は、長く日本の大学で教えていたドイツの哲学者カール・レーヴィットの言葉として次のような引用を紹介し、解説しています。 『「(日本の学者たちは)二階建ての家に住んでいるようなもので、階下では日本的に考えたり感じたりするし、二階にはプラトンからハイデッガーに至るまでのヨーロッパの学問が紐に通したように並べてある。」「そして、ヨーロッパ人の教師はこれで二階と階下を往き来する梯子はどこにあるのだろうかと、疑問に思う。」・・つまり、外国の思想は二階にあり、一階には日本の思想がある。もっと一般化して、私たちの生活に置き換えると、二階は聖書を読んだりする信仰の生活で毎日の生活は一階にあるというわけです。』
 

  きょうの証しにはわざわざ題をつけて「私たちの信仰告白」としました。ふつうはあまり証しに題などはつけないかもしれませんが、敢えてそうしたのは、中心点を明確にしたかったからです。私たちはイエス・キリストを信じているクリスチャンですが、イエス様をキリスト、救い主だと信じることはどういうことでしょうか。信じると言いながら、隅谷先生がおっしゃるように日曜日は二階、週日は一階という日常生活を送っていないでしょうか。もちろんこれは「私の信仰」の問題であり、きょうは「私の信仰の証し」をさせていただいているのですが、しかし、「信仰」というのはもちろん「私」の問題でありますが、かといって「私だけ」の問題ではありません。少なくとも聖書に根ざした信仰は、「私の信仰」=「私たちの信仰」であり、これを「教会の信仰」であると理解するのがプロテスタント教会の信仰理解です。それを意識して、勝手なようですが、「私たちの信仰」としたのです。
 

  さて、私が信仰の問題に次に直面してショックを受けたのは、ちょうど大学を卒業する年、1971年に読んだイザヤ・ベンダサンという人の「日本人とユダヤ人」という本です。この中で著者は日本のクリスチャンはキリスト教徒でも何でもない、他の日本人とまったく同質の「日本教」を信ずる「日本教キリスト派」であると言い切っています。つまり、キリスト教を信じているといいながら、その日常生活の価値判断・感受性・行動様式は他の日本人と少しも変わっていないというのです。これを読んで、私は自分がクリスチャンになったと思っていたのに、ベンダサンの指摘するとおりの日本的体質から少しも変わっていない自分を本当に恥ずかしく思いました。
  しかし、おかげでこのときから、クリスチャンとして生きる戦いの方向というものが私の内面で定まったように思います。知らない間に当たり前と思っていた日本的な体質と聖書の示す生き方とはどう違うのか、今のこの自分の感性はどちらに支配されているだろうか、それを知るためには、絶えず聖書を読んでいなければ、そして祈っていなければなりません。
  そうしないと、たとえば、「一緒にやりましょう。私もやります。」と言っておきながら、何か問題が起こると他の人のしたことの不備を指摘して自分は傍観者や糾弾者に成り代わってしまい、自分自身の責任がどこにあったかを忘れてしまったり、「他の人のためにやっている」といいながら自分の利益の誘導のための大義名分としたりといった「ずるい生き方」を無意識のうちに自分自身に容認してしまうからです。神様を信じているといいながら、日本的な多神教のカミを信じている行き方、それは、たえず人の目を気にして、人に取り入る・迎合する、また、人に認めてもらいたがる、人から評価されることに安心する。いつも基準は他人にの目に写る私です。これはまさに多神教的な生き方でしょう。(このことをわたしに強く教えてくださったのは、前の教会の牧師先生でした。)
  今日、多くの日本人は、多神教の方が誰とでも調整が取れ、バランスが保てるからすぐれている、一方、一神教は独善的・排他的なのですぐ殺し合いの戦争に至るから劣っていると考えているのではないでしょうか。 人の生き方や価値観・感受性といったものは、ふだん、なかなか目に見えないので、よほどの困ったことや問題に直面して手痛い月謝を払うことでもないと、自分の持っている座標軸がわからないものです。
  たとえば、私が教会の中で感じていることの一例を挙げて見ますと、私たちが毎週歌っている讃美歌にもそれが現れることがあるのではないかと思います。先ほど私の高校時代の経験を少し話しましたが、当時通っていた教会の近くには有名な音楽大学もあって、そこのピアノ科の学生や卒業生たちも何人も奏楽の奉仕をなさっていたのです。しかし、その先生の表現される讃美歌は、それまでまったく知らなかった世界にわたしを引き入れてくれたのでした。
  わたしは、音楽にはずぶの素人ですが、体の重心が後ろにかかったまま、でれでれ歩いたり、肩をすぼめて猫背になってとぼとぼ歩いたり、という生き方が生活のリズムとなっていると、讃美歌も本来の曲想とは似て非なるものになってしまうのではないでしょうか。リズムが感じられない、メロディーがどこに向かっているのか行方が定まらない、したがって救われた喜びも解放感も、イエス様への信頼に満たされた平安も、創り主の雄大さを讃える広がりも感じられないということになってしまいます。
  わたしは、自分が父の謡曲や、祖母のお経や、調子はずれの竹笛や、音の狂った木琴しかない環境で、西洋音楽もそれを支える信仰というスピリットも知らないままで育ったので、自分のうちには「讃美」も音楽もないということを体で知っています。ですからこそ、なんとかして神さまが与えてくださった「讃美」という賜物に備わっているものをそのまま受け止めることができるようになりたいといつも思っています。
 

  さらに、目に見えない価値観や生き方の座標軸について考えるには、もう時間が尽きてしまいましたが、私はイエス様を信じるか、日本的なカミを信じるかの違いは、一言でまとめると「仕える」ということにあるのではないかと受け止めています。そこに、「自発性」、「自由」、「責任」といったものが生まれる基盤があるのではないでしょうか。「私についてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従ってきなさい。」というイエス様のお言葉の意味をかみしめつつ、主なるイエス様の「お招き」に「従いたい」と願うものです。

                                      戻る