2005年10月
証 『信仰により見えるもの』
聖書 ヘブライ人への手紙 11章1節〜3節
「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」
伝道会証し 「信仰により見えるもの」
本日は私が信仰を与えられてそれまで見えなかった事実を失敗やさまざまな事柄を通し神様イエス様に教えていただいたことを証させていただきます。
私がキリスト教と出会うきっかけは高校2年の冬休みで、進路のことで不安を持っていた時でした。気分転換に東京で大学に通っていた姉のところに遊びに行ったところ、ちょうどクリスマスの時で、既に洗礼を受けていた姉に誘われ、教会に出かけました。そのときの教会の印象は、自分が今まで会ったことの無い人たちだなと漠然としたものでした。
その後東京の大学に進学して、教会に通うようになりました。 30年程前の私の周囲は学生運動が転機を迎えており、内ゲバなどで支持を失っていて、何をやっても無駄だというしらけムードが漂っていた時代、一方公務員はスト権ストの真最中で電車が止まり、休講が相次ぎました。
姉や教会の人の祈りにより20歳の時に洗礼を受けさせていただきました。 洗礼は受けましたが、罪・救いや信じるということがよく解りませんでした。キリスト教を知識として知り、自分の考えを補強する道具のように捉えていました。
そんな私に2つの事件が起こり、信仰の転機ともいうべききっかけができました。
一つは大学3年の時 父が交通事故を起こし入院しました、大学生になっていた弟と二人で、「自営業の父の入院が長引くと学校を辞めて働かなければならないのかな」などと言いながら帰省し、見舞いに出かけました。病院で父と話をしている中で、父が学生時代教会に通っており洗礼も受けたと聞かされました。弟も教会に導かれていて、皆さんから「兄妹3人クリスチャンとは珍しいですね」と言われていましたが、父の話を聞き、私たち兄妹が産まれる前から神様の計画の中に覚えられていることを知らされました。
もうひとつは、みっともない話ですが、3年生を終了して卒業に必要な単位不足がはっきりし、留年が決まってしまいました。これは私には大ショックでした。大して裕福でない家庭で兄妹3人東京の私立大学に通わせてもらい(現在私には私大に自宅から通う一人息子がいるので、その苦労は余計よくわかります)、クリスチャンでございますと言ってるのに・・・・取り返しもつかない失敗を通し、神様は私が罪人であること、救いを必要とすること、イエス様が私の罪を贖うために十字架に架かってくださったことを知らせて下さいました。
2回目の4年生の時、当時教会では土曜日に伝道会をもっており、その後グループで祈って教会に誘う人のことを話し合う時を持っていました。その中で私より一つ年下の女性が、「私の知っている人は4年生ばかりで、もう教会へ誘う人がいない。」というような話をいたしました、そこで 私は、「自分より年上の聴講生でも導かれてクリスチャンになっているんだから。」と彼女に話をいたしました。実に素直な方で、翌週早速、4年生の友人を教会に誘ってこられました、よもやこの導かれた方と後に結婚するとは当時夢にも思いませんでした。
現在私は電気関連の商社に勤務しております。電気業界はアジア諸国、特に中国・韓国・台湾といった国々の台頭により構造改善を迫られており、私の勤めている会社も例外ではありません。営業所の統廃合、取り扱い商品の見直し、配置転換、給与規定の見直し、希望退職募集など、ありとあらゆることが実施されております。実は今勤務している営業所や10月から
責任を持たされる営業所、両者とも、私が構造改善のプランを起案したところです。私はこの仕事で家族を養い生活してきましたが、目に見える会社・仕事・地位などがうつろいやすいことをつくづく知らされます。
「見えるものは一時的であるが、見えないものは永遠に続く。」
信じるということを知ろうとしていなかった私を神様はさまざまな事柄を通し導いてくださり、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。