地震発生の物理学
大中康譽・松浦充宏著, 東京大学出版会刊行
本書「まえがき」から
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地震現象を,地球科学的背景や災害科学的意義を念頭におきつつ,純粋に物理学的視点から解明しようとする研究は
近年著しく進展した.その中心を織りなす糸は,岩石のような本来的に不均質な物体の剪断破壊過程を支配する
物理法則にある.
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地震現象は,地球表層部に蓄積された弾性歪みエネルギーを,不均質な地殻内に存在する力学的
弱面としての断層に沿った動的剪断破壊によって解放する過程である.したがって,地震発生過程を物理学的視点から
統一的に理解するためには,不均質な断層の剪断破壊過程を支配する物理法則の確立が根本的課題となる.
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破壊現象は
本来的にスケール依存性を示すので,支配法則はそれ自体にスケール依存性が内包されるよう定式化されなければならない.
さもないと,破壊現象固有の様々なスケール依存性物理量を,単一の支配法則に基づいて統一的かつ定量的に記述する
ことは到底できない.
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しかし,いったん支配法則が確立されれば,与えられた地学的環境条件下で,地震破壊はどこで
どのようにして始まり,どのように伝播し,どのように停止するのか,そして強震動はどのような条件下で生成されるのか,
などという問いに答えられるようになるのである.
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地震学は120年の長い歴史を持つ学問であるが,上述のような地震学上の中心的課題に解決の糸口が与えられるように
なったのは,ごく最近のことである.
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今日ではすでに常識化している「地震の原因は断層運動である」という共通認識が
確立されたのは,食い違いの弾性論(ディスロケーション理論)が地震学に導入された1960年代以降のことである.
同じ60年代には,プレートテクトニクス理論の出現により,「地震はプレートの相対運動によって生じた弾性歪みエネルギー
を間欠的に解消する過程である」という共通認識も確立された.
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こうした基本的理解に基づき,1960年代後半から
80年代にかけて,様々な運動学的震源モデルが提案され,断層運動に伴う地震波の放射や地殻の変動が計算される
ようになった.しかし,これらの運動学的モデルは,地震が発生し始める場所も時刻も,破壊が伝播する速さも,停止する
場所も,すべてあらかじめ与えられており,物理的因果律に基づく予測可能性を何も秘めていないモデルであった.
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地震破壊過程を支配する物理法則(構成法則)の確立は,世界の第一線の研究者が関心を持つ最先端の研究テーマ
であるが,旧来の地震学の枠組みを超えた学際的な内容を含むが故に,伝統的な地震学における経験的アプローチ
の単なる延長上に答えを求めることができないことは明白である.
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この問題の解決の糸口は,1980年代以降に行われた
岩石の摩擦すべり破損(固着すべり)に関する室内実験によって与えられ,剪断破壊実験を含むその後の一連の岩石実験
により実証されてきたものである.剪断破壊過程を支配する物理法則は,本書の中心テーマの1つであり,詳しい内容は
3章にゆずるが,これは亀裂の進展に伴う物体のエネルギー収支に着目したグリフィスの破壊基準を,剪断破断面形成の
物理過程として表現し一般化したものということができる.
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こうして1990年代に入ると,真の意味で「地震発生物理学」と呼ぶに相応しい学問分野が誕生することになる.以後
この分野は目覚しい発展を遂げ,現在では,断層周辺域におけるテクトニック応力の増大に伴う弾性歪みエネルギーの
蓄積から,準静的な震源破壊核の形成をへて,動的地震破壊の開始・伝播・停止にいたる地震発生サイクルの一連の
過程を,基礎的物理法則に基づいて統一的かつ定量的に記述することが可能になりつつある.
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本書は,こうした最近
発展の著しい「地震発生物理学」を,従来の地震学的基礎を土台として,専門課程の学生,大学院生および一般の
地震研究者,それに地震学に関心を持つ他分野の研究者を対象に,統一的かつ体系的にわかりやすく解説することを
目的として書かれたものである.
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本書の特徴は,構成法則が縦糸になって
本書全体を貫き,地震発生を理解する上で本質的に重要な破壊の核形成過程から,動的破壊過程と強震動,破壊現象
固有のスケール依存性物理量のスケーリング,プレート運動が駆動するテクトニック応力の蓄積過程と大地震の発生
サイクル,地震活動,大地震の発生予測可能性にいたるまでが,一貫した視点で統一的に記述されている点にある.